2014年の春。私は都内の大学で研究施設を管理する部署の教員に採用された。しかし、意気揚々と出勤した着任日早々から、これまでの職場では経験したことのないような理不尽ことが次から次へと起こった。人間関係も最悪だった。こんな異常な職場は経験したことがなかった。あまりの環境の悪さに、新入りの教員は次々と辞めていった。私は辞めるに辞められなかった。私が辞めてしまったら、この施設は立ち行かなくなるだろう。私は職務に対する責任感だけでかろうじて仕事を続けた。心身ともボロボロだった。

2018年の年の瀬。連日、終電まで働き続けた。終電を逃してしまったら歩いて帰るしかない。お茶の水から江東区の自宅までは徒歩で1時間強の道のりだ。静まり返った日本橋を通り過ぎ、ひとけのない兜町を抜け、永代通りを茅場町方面に歩いた。足取りは重かった。永代橋の下を流れる隅田川の黒い流れと眼前にそびえ立つタワマンのきらびやかな灯りを交互に見ながら、私は研究に打ち込むことのできた過去の日々を思い出していた。優秀なラボヘッドとラボの仲間たちと共に研究に打ち込む毎日だった。頭の中は四六時中研究のことばかりだった。日付が変わってから家路に就くようなハードな日々を送っていても、心は充実していた。研究は競争の世界だ。世界中に競争相手がいる。ストレスがなかったわけではないが、幸せだった。しかし今はどうだろう、こんな気がおかしくなるような職場で65歳の定年まで働くのかと自問した。私にはその未来を思い描くことができなかった。職場には閉塞感と絶望感しかなかった。私は特に秀でた能力もない人間だが、夢を追い求めることで成長してこられたのだ。これ以上、こんな職場に居続けたら、私は腐ってしまうだろう。腐って使い物にならない能無し教員と後ろ指をさされるのだけは御免だと思った。

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