三郷の家を10:30に家族みんなと一緒にタクシーで出発して、三郷中央駅へ向かった。筑波エキスプレスで北千住に行き、そこから常磐線に乗って日暮里へ。12:05のスカイライナーで成田へ向かった。日暮里駅でM君と会う約束をしていたが、姿が見えず、諦めて電車に乗った。その直後、電車の窓を叩く音がして振り返ってみると、ホームにM君がいた。話はできなかったが、顔を合わせることができてよかった。


荷物は、(特大)スーツケースx2、大かばんx1、手荷物x2,リュックx1、おみやげの入った手提げ袋x1で大変だったが、空港ではカートが使えたので楽ちんだった。ユナイテッドのカウンターでチケットを受け取り、受託手荷物を預けて身軽になったあと、お昼ご飯を食べに(空港内の)杵屋に行った。けんちんうどんがおいしかった。


15:30頃、潮来から義母と、義姉弟が見送りに来てくれた。みんなで記念写真を撮って、出国ゲートへ向かった。みんなに手を振っておわかれ。荷物検査もスムーズに通って、出国手続きもスタンプを押してもらっただけで終わって33番搭乗口へ。飛行機は17時27分ごろ離陸。飛行中は息子はほとんど寝ていてくれたので楽だった。飛行時間は予定より短く、シアトル・タコマ空港に到着したのは(午前)8時17分くらいだった。

入国審査もまったく問題なしで、(米国大使館でのビサ申請の時に苦労した)妻の指紋も問題なく済んだ。税関はちょっと大変だった。新しいほうのスーツケースを開けるように言われ、中身をすべて検査された。おみやげの包みも一つ開けられてしまった。ようやく税関を抜けて、Baggage claimで荷物を受け取り、(空港に迎えに来てくれる約束をしていた)アパートの大家さんを捜したが見つからず、仕方なく携帯で大家さんに連絡を取る。大家さんはParkingで手間取っていたそうだ。どうにか大家さんに会うことができ、アパートまで車で連れて行ってもらった。アパートは聞いていたとおりで、やっぱりボロいなと思ったが、初日から(ホテルではなく)家に泊まれるのはやはりありがたいと思った。


午後1時にリンズワークス(LINZ WORKS)の林さんに迎えに来てもらって車を買い、保険契約を電話で済ませ、車の所有権譲渡のために、林さんとDOLに行き、その足でショッピングモールに連れて行ってもらい、布団、毛布、シーツ、枕、それに、数日分の食料品を買い込んでリンズワークスに戻った頃にはもうすっかり日が暮れていました。しかし、冒険はまだ終わりません。買った車を運転してアパートに帰らなければならないのです。右側走行も、左ハンドルも始めてだったし、標識も違う。それに、当たり前だけど道がよく分からない。林さんの車に乗せてもらってアパートからリンズワークスに行った時の道を逆に行けばいいわけだけど、日も暮れてしまったし、果たして無事にたどり着けるのか?そんな不安のなか、運転席に乗り込み、心の中とは裏腹に笑顔で林さんに挨拶をし、アクセルを踏み込んだのでした。リンズワークスを出た後、林さんに教わった日系ストアのMarutaに寄り(閉店直後で買い物できず)、その後とにかくI5(アイファイブ、フリーウェイです)の入り口を見つけ、北へ向けて走り出したのでした。

出口は170番。出てからの道は空港から大家さんの車に乗せてもらった時にしっかり覚えておいたので、ここまでくればもう大丈夫。無事にたどり着いたアパートで、家族に再会した。しばらくすると、日本にいる時からメールでやり取りしていたKさんが様子を見に来てくれた。Kさんに連れられて、Safewayというスーパーへ。ここでも、食料品を買い込んで、これでしばらくは飢えずにすみそうだ。家に帰り、軽い夕飯をとって人生で一番長い一日を終えたのだった。なんせ、僕らにとって2006年1月9日は、24+17で42時間もあったんだから。その時間を最大限に使って、一日でシアトル生活をセットアップしたのだから我ながらよくやったもんだと思うよ。大家のFさん、リンズワークスの林さん、Hutchの研究者仲間のKさんにはなんとお礼をしたら良いものか、適切な言葉が見つからないくらいです。大変感謝しております。

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